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2007.03.29 花は菜の花
菜の花3菜の花1相棒が仕事で相生に行き、菜の花がきれいだったと写真を撮ってきてくれた。「ご自由にお持ち帰り下さい」とは!こういうのは見るだけでうれしくなる。仕事に行く途中なのでお持ち帰りできなかったよ、ごめんねって、そりゃそうでしょ。帰りは夜だしね。
菜の花2それにしても菜の花の黄色はいい色だ。はらむものはやさしさだけみたいな感じ。桜はおだやかさとは遠く何かいろいろなものをかきたてるものがあり、人を浮き足立たせるね。
近所のお寺の桜の昨日までまだ固いように見えたつぼみが、今朝は一気にはちきれそうになっていた。明日はいよいよ開き始めるかもしれない(^^)
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2007.03.27 何に勝つのか
つくし福若松Y農園さんに土筆をたくさんいただいた。調理後を撮影しわすれて、もうない…。灰汁抜き後にサラダと佃煮にした。滋賀のSさんにいただいた大吟醸にあい、どちらもおいしゅうございました(^^)
さて、人によって大事な物は違うわけでそれに対する価値観、思い入れは当然人によって異なる。オーディオが趣味の人がいて、その人が今欲しいものはスピーカーである。家に三つも素晴らしいスピーカーがあるにもかかわらず、ほしいのがまだあるそうだ。1個百万、当然ステレオには2個必要でぇ~(^_^;) 2百万円である。今あるものでも2個で百五十万とか安い方でも七十万とか…。上場会社の中堅社員なので給料はかなりいいのだが、それでもはいはいと奥方が承諾する値段ではない。
朝の食事のときにいかにいい音がするか滔々と述べ、帰ってきたら鞄からパンフレットを出し説明し、いい音で音楽を聴く自分の飽くなき夢の幸せを語るそうだ。高いといわれると「買えない値段じゃないでしょ!叶うから夢っていうのよ、叶わないものは夢じゃない」とか、三つとも壊れてないじゃないといわれても「君の宝石と同じなのよ。ダイヤの指輪があっても真珠のイヤリングもほしいでしょ。シルバーがいいとかオパールの色が好きとかもいうでしょ。それといっしょなのよ」と。奥方はため息。こんな調子でものを売ったらとてもいい営業マンになれると思うのよね。うちの人、仕事間違ってるんじゃないのかしら…と。確かに彼はカタログ制作が専門でセールスマンではない。ごもっともです、と、つい答えたみかであるが、まあ好きなものだからであって、お仕事でこう弁舌爽やかとはならないことも知っている。むしろ仕事に関しては訥弁な旦那である。
このご夫婦は揃って高給取りであり、お子さんがいないので趣味にお金がかけられるといってしまえばそれまでだが、奥方にしてみればスピーカーだけの問題ではない。今までのオーディオやレコードにつぎ込んだお金があれば、今頃家が建っているのに…というくらいなのである。まあ、リストラされて収入がなくなるなんて不幸がない限り、奥方の承諾が出るまで諦めず説得するのだろうな。まあ、勝手に買ってしまわないところが彼のいいとこである…。
自分にとって大切なものが高価だと大変だよね。私は今何がほしいのだろう?まぁ家に酒のストックがないと悲しくなるけど、四合瓶1200円くらいの贅沢だ…。一番ほしいのは時間だけどね。今月末までに三冊分の歌集評を己に課していたけど、一冊しかできてない。安藤美姫はライバルはいない、ただ自分に勝ちたいと言っていたが、みかは自分に負けてばかりだ、とほほ。
昨日は、現代歌人協会50周年記念の「現代短歌フェスティバルin大阪」というイベントに参加した。篠弘の開会の辞に始まり1対談「いまに生きる歌」篠弘、永田和弘。2「現代短歌の可能性と不可能性」小池光、香川ヒサ、穂村弘(司会)栗木京子。3「大阪人の歌・東京人の歌」池田はるみ、小黒世茂、江戸雪、小高賢、藤原龍一郎、大野道夫(司会)島田修三。閉会の辞は安田純生
4時間にこのメンバーでこの内容だ。総花的で収集がつくはずはない。どの話も中途半端で、これから佳境に…のところで時間切れとなる。しかしまあ、記念イベントで生の有名歌人を見てその話を聞けるというだけで数百人の参加者は満足だろうし、それなりの意義はあったろうし、協会側も多くの参加者を得て面目が立ったようだ。(安田氏が集まらなかったらどうしようとかなり不安を抱えていらしたそうだ。)
 私自身も半日楽しんだだけで十分だなぁというところ。何かを得たというほどのものはないが、なんとなく今自分が短歌に関わっているということが確かめられた、という点では面白かった。いろいろな人のいろいろな意見を聞く見る機会を得ることは別に何かを教えてもらうためではなく、自分のスタンスを再確認する、というのでいいのだろう。
 さて、各歌人が述べた内容はもう少しメモやらを整理して報告するほどのものがあったかどうかゆっくり考えてみたい。ただ、ひとつだけ。穂村弘の説得力あるいつもの話し振りを持ち上げながらもけど、やっぱりそりゃあ私には理解できないと言い切った栗木京子はとても美しかったです(^^)
先付け若竹煮ohiraさんや奈良のHさんやわざわざ岡山から出てこられたY農園さんとご一緒したので、会の後に食事ができたのが重ねてよかったことだ。楽しく食事をしてそこで一致した意見が「やはり何を詠うかなのよね」ということだった。
筍や蕗の薹、あしらいも桃の枝と、季節感たっぷりの食事で、やはりこっちがメインだったか…。それもよし、だ。短歌のおかげで親しく食事ができる仲なのだから(^^)
雪柳ホームページのカウントが今朝11000を超えました。ありがとうございます。
で、いつまでも雛人形じゃないだろうと衣替えです。これなら季節に関係なく~のデザインで(^^)
昼に桜探検に行って来ましたが、雪柳が盛りで桜はまだまだです。公園の花壇のチューリップが咲きはじめました。wakameさんはご近所でなづなやつくしを摘んでらしたが、このへんは季節の植物も植えられたものばかり。それでもうれしい~。
チューリップそういえば、Sさんが庭の草引きを少しさぼっていたら近所の人に野趣があっていいお庭ねってほめられて、どうも引きにくくなった。でもあれは嫌みだったのかもしれないとしばらくして気がついて、せっせと抜いたって話をしていたなあ、なんてことを思い出したらおかしくて少し笑いながら桜の蕾も固い人工並木を歩いておりました。(前からくる人がちょっとよけたような気がする。だいぶ笑っていたかもしれん…(^_^;))
今月の歌もやっと投函いたしました。作る方からはちょいと解放されて、積んである歌集を少しなんとかしなければ…。
2007.03.19 曖昧なわたし
馬酔木昨日は砂糖亭、あれっ(^_^;) S邸での歌会だった。昨日はどの歌にも時間がかかりいつもよりずいぶん時間がかかった。あとでゆっくりお喋りする時間がなくなって残念だったが、ずーっと歌にかかりきって充実していたような…そうでないような。
どういえばいいのか、個性が発揮され過ぎていたとでもいうのかな。やはり読者に共感してもらうことを一番に考えればわかりやすさは大事な部分なのだが、ただわかりやすければいいってものでもない。でも、微妙な部分に手を出して人が詠わないところをつかみ、人とは違う表現で提出しようする私の意図を先走らせるとどうもおかしなことになっているようだ。もちろん指摘されるまで自分ではよくわかってない。
こうすればわかりやすい、といわれてもそれは詠いたいことではなくなってしまう。とまあ、結局ご迷惑をかけてしまうことになる。特にSさんは白黒はっきりさせるタイプで歌もそういう傾向があるので、白黒つける気がはじめからない私とは噛み合わないところが多い。だが、彼女の理論は常に参考になる。Sさん自身はこれまた人の意見など聞いてないで常に我が道1本なのである。考えてみたら、そんなみかとSさんが長く意見交換しているのは不思議といえば不思議である。違うところがおもしろということでもあるのだが、もう好きにしなさいと言われてもおかしくない…。
S邸の馬酔木も今が盛りだったが、写真はうちの近所の古墳にある馬酔木。どういうわけか寒い寒い3月であるが、春である。
3月半ばやいうのにまだ歳末特別警戒中のポスターを貼ってある信用金庫、全く信用でけへん。
毎度おおきにぃ~っと大きな声は聞こえてるけどいつも客の方は全然見てへん店員、気持ちがあらへん。
沖縄料理店やのに「沖縄料理あります」と太書きしてある、くどいやろ。
お好み焼き屋で「一生懸命焼いてます」の暖簾、なんか汗まで入ってそうや。
「○○座 こっち→」の風により向きがかわる看板、一体どこやねん。
興味がないので勿体ないから持って帰ってねと言っても無理矢理名刺やチラシを置いていくセールスマン、それになんぼかかってると思てんの?
ノンシュガーの飴、砂糖は使てへんけど、代わりの甘味料が使われててノンカロリーやあれへん、けど大きなノンの文字だけ目立つー
樽平と昨日の昼休みだけでみかが言うた文句の数…とほほ、どうも機嫌が悪いようやな(^_^;)
けど、帰ったらy-benとうさんからお酒が届いていたので機嫌はいっぺんになおった。kanさんの声も聞けたのでよしよし(^^) ありがとうございました!
そして、今晩は早く帰って樽平をいただく…ふっふっふっ
週末に「NHK短歌」をちょっとだけ見た。投稿歌まで見る時間がなかったが、馬場あき子がゲストだった。ゲストの歌は
都市はもう混沌として人間はみそラーメンのやうなかなしみ  馬場あき子
であった。ここで司会の内藤啓史アナウンサーが「みそラーメンですか?よくわかりませんねぇ」と言うと河野裕子が即座に「わかりますよ!!!!塩でも醤油でもないぐちゃぐちゃの味噌なんです」と押さえ込んだ。馬場さんが「自分の個さえなくなってしまうどろどろの中にいるのがおかしいを越えてかなしいのです」と足した。
内藤アナは「はぁー、勉強になりました」と言ったが、全然わかってない顔だった。実ははじめこの人が司会に代わったときにあまりに短歌のことを知らないし、凡人すぎる感想をいうのでほかんにおらんかったんかい!と思っていたのだが、最近ちょっと好きになっていた。で、今回だいぶ好きになった。だって正直なんだもん。わかったような顔ができないし、気の利いたコメントもないのがかえって気持ちいい。
こういうのは勉強してわかるようになるものではない。一読で「混沌イコール味噌ラーメン」の読み解きができない人はずっとできない。なんでここに味噌ラーメンがでてくるのか? カレーやハンバーグではいかんのか?ラーメンが悲しいってどういうことや?と思う人は思うわけだ。不思議ではない。したり顔でそうよ味噌ラーメンなのよね、そうよかなしいのよなんて言ってる方が実はおかしいのかもしれない。
とはいえそんなことを言い出すと詩も短歌も作れなくなるのであった(^_^;)
この歌がいいかどうかは知らないが、比喩の価値のひとつは誰も今までそんな喩えをしなかったものを思いつくことにある。混沌とした都市にみそラーメンの喩えは今まで誰も使っていないだろうし、これからも使わないだろう。みそラーメンの存在と感じは誰でも知っているし、確かに塩や醤油では成り立たない。味噌汁でもなく油の浮いたラーメンでなければならない。使い古された喩えなど31文字に入れるのはもったいないし、埃をかぶった床の間の前でもてなされるような感じだ。(これまたもっちゃりした喩えやなあ(^_^;))
ただ1首としてこの歌はいかがなものかという気はする。というか、「混沌として人間は」の重さに対してわざと「みそラーメン」の軽さを持ってきたのだろうが、どうも言葉としても感覚としてもみそラーメンは安い…。せめてビーフシチューにしてほしかった。(見た目でなくみそラーメンは庶民的で美味い。ビーフシチューは味も存在も微妙だ…)でもみそラーメンありきのビーフシチュー発想である。こんな誰もできない喩えが出たらもうこの歌は忘れられない。
忘れられないということは、馬場あき子の勝ち、かなぁ(^_^;) 
2007.03.10 雑誌マニア
空豆(空豆いただきました)
青南を毎月読んでいると気付くことがある。先月いい歌だなあと思った歌がまた載っている、重複投稿。単なるミスだろうが、こちらが覚えているということはほんといい歌。ならば作者にも結構自信があるんじゃないのかなぁ。だとしたら投稿したのを忘れるとは思えないけどなぁ、とか。
また最近あの人の歌を見ないなぁというのもある。接点のない方だと情報もないので、ご病気かしらと案じてしまう。たとえば長崎のTさんの歌が2月から見えない。ご高齢ではあったがお元気な歌が続いていたのに、どうされたろうか。
東京と福山で母娘で出詠している方がいるが、半年ぶりに娘が故郷の母の元に行く歌を見るとまあどんなにお喜びだろう、などとよそながら嬉しくなったりもする。
そういえば歌会予告欄に1月から「鹿児島青南歌会」が掲載されているのだが、これにはおっと思った。だって鹿児島で出詠しているのはだいぶ前から5名以下である。去年あたりに徳島の方が転居されて阿久根からの出詠になったのも束の間お一人亡くなって、このところ4名の歌しか出ていない。そして多分全員男性だ。これも今の世間の状況からいくと珍しい。この人数で歌会の告知を出す必然があるのか疑問だが、意欲は素晴らしいなぁ。それとも九州の他県の方も参加して案外盛況だったりして、などと慮る今日この頃…である。
また東京の歌会報告にはときにすごいことが書いてある。たいていは清水先生のお言葉なのだが、はぁーこれが聞けるのは東京だけなのよね…とつくづく。今月など目から鱗だ。読みました?
対象に接する時間が長い方が認識が深くなり「結局は日常の歌だ」(土屋先生)、旅行は対象に接する時間が少なく、吟行会等には驚きがない。
生活詠の本質みたいなことが隅っこにさりげなく書かれているのである。隅まで読んで損はない。(損得かよ(^_^;))とはいえ、まだ見落としていることがそれでもあるのだろうなぁ…。これでは歌を作っている時間より雑誌を読んでいる時間の方がはるかに長い。
いいのか?
2007.03.07 名残惜しい
茶の間応接室見覚えのある茶の間でしょ~ kanさんもお楽しみのNHKの朝のドラマは今月いっぱいで終わる。残念。話は突然平成になって町子のおばさんパーマがそれだけで笑わせる。矢木沢さんはそのままなのにねえ。大阪のNHKでセット公開をしていた。そら見とかんとあかんでしょ~!
書斎徳永医院茶の間とそれに続くテレビがある応接室、そして階段下の町子の書斎とその続きの中庭と玄関。やはり技術で古びて見せているが柱は古い電柱だったり、瓦などははりぼてらしい。もちろんセットの裏はなにもない。
茶の間にも書斎にも座ってみたいところだが、当然立入禁止、おさわりもダメ。書斎の机には町子の子供の頃の家族写真と徳永家の子ども達と亡くなったお母さんとの家族写真が置いてあった。リフォーム中におじいちゃんがつけた手形もあった。
裏表札町子の著作もカバーのみの印刷というがたくさん並べてあった。写真を撮るのを失念。ドラマの美術さんは些細なところにもこだわりの技を見せているのだろうな。
だが、ひとつ気になったのは表札が「徳永」だけであったこと。「花岡」もないと出版社からの郵便物届かへんのとちゃうか? 老婆心か…(^_^;)
ところで応接の額は何と書いてあるのだろうか「清修自雪」?tokoさ~ん、教えて下さい。
額

2007.03.05 新世界界隈
通天閣ビリケンさん日曜日に黒門市場にキムチを買いに行くついでにちょっと足をのばして通天閣に行ってみた。市場のある日本橋界隈から通天閣まで歩いて15分ほどであることに案外大阪の人も気付いてないのかもしれない。みな最寄りのJR新今宮とか地下鉄恵比須町駅から行くようだ。10年以上足を向けていなかったが当時はかなりさびれていてエレベーターも古くてこれ大丈夫なんかなぁ~と思っていたが、ちょっと前にリニューアルしエレベーターも新しくなっていた。

夕景王将通天閣の上から見る夕景の大阪だ。どうもごちゃごちゃと汚い街だなあ。奥の南港大橋あたりはちょっといい感じだ。あのあたりにユニバーサル・スタジオ・ジャパンがある。完璧なまでにみかのカメラが写り込んでいる…(^_^;)
通天閣の下には串カツや将棋打ち場(朝ドラの「ふたりっこ」での記憶がおありだろうか?)で有名なジャンジャン横丁。夜ともなれば一人ではちょっと足がすくむところだが、昼間は楽しい。
看板というかオブジェ?スッポンそれにしてもこの過剰に大きな看板や張り子のフグ、道を占拠する移動式ネオンは道路交通法とか建築法とか消防法に触れないのだろうか?串カツの店とふぐやスッポンの店といったあたりが交互にある商店街で独特でディープな雰囲気だ。そして昔のままのコーヒ屋とか。意外に少ない立ち飲み屋。小さい丸椅子を置いてる店が多い…。立ち飲みの串カツ屋(朝からやっている)はキタの方が多いかもしれないなどと思いつつ行く中耳炎のみかである。(今時、中耳炎って…。耳の痛いことを聞きすぎたわけではなさそうだ、とほほ)
串カツ 喫茶店 通天閣下から
2007.03.02 嘘遺書
三十で中原中也は死にました二十歳のランボーは詩をやめました
最新の青南に掲載された拙歌である。選者Iさんがひと言欄で「内包するものに鋭いメッセージがある」と評して下さり、あらっ?と思っていたら、別の選者の方が「感嘆しました」と手紙の追伸に書いてくれていた。ある方はメールで「いい歌!歩きながら頭の中で鳴っていました」と。そしてまた別の方は「背後にある作者の心の重さ。説明的ながら鋭い…。」と。
歌会でもなくこういうふうに立て続けに感想を頂けるのは珍しい。しかしである。自分ではわからないでいる。いいのか?これで…と作っているときから思っていたけど、今もそう思っている。詩として成立してるんやろか?でも変えようも直しようもひっこめようもない歌ではある。
ランボオ詩集を出した中也もランボー自身も残した作品はわずかしかない。中也は長生きしたらもっと作品があったかもしれないが、ランボーは正確には21歳になってすぐに詩作は放棄したらしい。
まあ、暢気なみかもたまにはこういうことを考えたりはする。憂鬱になるといってもいい。(高校生だったら死にたくなると言ったかもしれない(^_^;) 実は高2のとき国語のノートの余白に遺書のようなものを書いたことがあって、tokoさんがホームルームだったか授業中だったかに勝手に読み上げたことがある。あの人昔からそういうところがあったなぁ…。名文だったからではなく、こんなん書く奴に限って死なんやろって、ところでしょう(^^))
しかし現実の生活は待ってくれないのでそんなものは忘れたふり、である。
(ところで、ひと言欄で作者名を出したのは久しぶりなのではないか。かねがね不思議だったのだが、何故あの欄は作者名をほとんど伏せるのか。悪い例に出すことがあるからか? 今回Iさんは何か意図するところがおありだったのか?)