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2007.10.31 続・松山行
道後温泉本館道後温泉本館というのは巨大な共同浴場である。明治27年に建てられ今は国の重要文化財にもなっている。重要文化財の銭湯に入れるってわけだ。「千と千尋の神隠し」に出てくるような構えである。坊ちゃんに「何を見ても東京の足下にも及ばないが、 温泉だけは立派なものだ」と言わせただけはある。地元の人も付近の旅館の宿泊客もやってくる。システムがちょっとややこしい。坊ちゃんと仲間広々とした「神の湯」と小さな「霊の湯」があり、神の湯入浴だけなら400円。神の湯に入って道後温泉のシンボルマーク湯玉模様の浴衣を借りてお茶と煎餅で入浴後に2階の大広間でくつろぐコースは800円。霊の湯入湯でまた別の2階広間でくつろぐコースが1200円。茶碗と煎餅のグレードも上がる。霊の湯入湯で3階個室になると1500円で浴衣も白鷺模様に替わり、煎餅が坊ちゃん団子に代わる。霊の湯はいずれも漱石が使ったという「坊ちゃんの間」と皇族専用の浴室の見学ができる。3階に行きたかったのだがいっぱいで霊の湯2階コースに行った。前回来たときはもっと混んでいて神の湯しか入れなかったので、まあいいか…。
堀江氏さて日曜はいよいよ講演会である。高松からバスでやってきた青風のtokoさん、Mさん、Hさん、地元のWさんと合流。「子規の書簡から」と題して子規の手紙のことからはじまり堀江氏自らが関わった「土屋文明書簡集」出版時の小市氏と堀江氏の関わりや苦労、文明とケノクニとの関係等机上のことではない生々しい貴重なお話が聞けた。人と人とのめぐりあわせ、短歌にも通じる本当の心が表白する手紙というもののあり方…等、感じるところがいろいろとあった。
短歌大会午後は短歌大会の特選・入賞の表彰とその歌評である。8人の選者と堀江氏の選んだ106首である。表彰も歌評も一仕事だ。Mさんが表彰されるときtokoさんは壇上まで行ってカメラ撮影していた。がんばるね~といいながらHさんと「わたしらがやらんといかんやろか…」とかいいながら、106首もあるのにわたしらは入らんね~、毎度…とぼやいていた。これが実力だ。堀江氏にまで「えっ!出してたの?」と言われる始末。とほほ。
子規記念博物館だらだらといく選者がいたので堀江さんの歌評の時間は大丈夫なのかと思っていたが、時間調節はうまくいき最後の堀江氏はちゃんと時間内に納めてきちっと終えた。素晴らしい。
堀江氏にご挨拶し、明日の愛媛青南歌会に出席のtokoさんや奈良から参加のSさん、松山の方々と別れて市電に乗った。あとは帰るのみである。
愛媛の日本酒とはいえ、もちろん、みかご一行様は逃してはいない。朝、講演前にはまだ開店前の店に何故か入れてもらい仁喜多津/水口酒造の店で試飲した。帰り道では愛媛県の地酒のアンテナショップ『蔵元屋』にももちろん寄った(何がもちろんだか…)。
熟田津※ちなみにこの仁喜多津の店は「熟田津の道」という道後温泉商店街の途中から西へ延びる遊歩道沿いにある。額田王の「熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかないぬ今は漕ぎ出でな」に由来しているのだが、ほんとうにこの先がその熟田津かどうかはねえ…。
ともあれ、アンテナショップで6種類ほど試飲してから松山空港へ行き、帰路についたのだった。
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2007.10.30 松山行
土日と愛媛県に行って来た。道後温泉にある正岡子規記念博物館での「第25回子規顕彰全国短歌大会」に参加するためである。今大会の講演・選者は青南の編集長の堀江厚一氏である。
アンパンマン電車日曜の朝10時からなので前日に行って道後温泉につかろうという魂胆である。全然関係のない相棒はそっちが目的である。相棒は山形以来仕事を一日も休んでいないので、放っておくとまだ働きそうなので連れ出すことにした。
土曜日は飛行機で松山空港に11時頃到着。バスで松山駅に行き、そこから電車で内子へ向かった。松山市内は以前行ったときに一巡りしているので今回は内子探索にした。内子までの電車はアンパンマン電車である。作者のやなせたかしは確か高知の人だからそういう関係で愛媛あたりにもアンパンマンが走っているのかもしれない。
内子座内子座のなかじゃ大正時代に建てられた木造の内子座という劇場を中心に古い街並みが保存されたメイン通りを見て歩いた。古い町屋と木蝋で財をなしたらしい豪商の邸宅が並ぶ。邸宅内は資料館になっており色々と見学ができるようになっている。
内子座は中を見学できて、奈落まで降りることもできる。讃岐の金丸座みたいな感じだ。こういうところでお芝居みたいですね。風情があって、役者に近くて。ただし足は痛いだろうな…。
内子街並み商いと暮らし博物館薬屋だった商家がそのまま「商いと暮らし博物館」というのになっているが、等身大の人形があって妙にはまってしまった。二階や奥にも入れるので二人で30分以上楽しんでしまった。観光客は少なくたまに入ってきてもすぐ出ていってしまうので遊び放題だ。だって、古い箪笥や電話室やつづらとか開け放題障り放題なのだ。(さわっちゃだめとかいてないし、明らかにみながさわったあともある…井戸をのぞき込んでいるのがみかで手前の洗い物をしているのが人形だ!)
松山駅前からくり時計と足湯適当に遊んで松山に戻り市電に乗って道後温泉に向かった。駅前のからくり時計の横に足湯がある。早速足湯につかりながら、青南会員で松山歌人協会の尾形さんに電話をしてみた。すると堀江氏ご夫妻がチェックインしたところだというのでご挨拶に行くことにした。
部屋にお伺いするとお二人が笑顔で迎えて下さった。講師の先生で来ているのだから「先生!」と呼ばれて当然なのだが、日頃から先生と呼ばれることを嫌っている氏は困っちゃうんだよな~を連発。大勢にお出迎えされても「こっちはお辞儀の仕方もわかんねぇからさ~」と笑ってらっしゃった。初めてお会いする夫人はフレンドリーな方で、自然体でいかにも堀江夫人である。夜は松山の方々と食事会があるらしい。私も誘っていただいていたがそういう席は苦手なので事前にお断りしていた。それにしても明日は講演会に表彰・講評、そして愛媛青南の方々と食事会、その翌日は愛媛青南の歌会、そして吟行まであって3泊の予定というから大変である。
道後温泉本館これが終われば「青南」の10周年記念号の編集が待っている。編集長は大変だ。相当に気が張っている感じがした。お疲れじゃないですかと聞くと、身体はさぁ大丈夫なんだよね、との答えだった。「あなたみたいな人がさぁ近くにいてくれれば…」とおっしゃるので「そうですね何かお手伝いできるのに…」というのと同時に「後でいっしょにお酒飲んだりできるのにねぇ」と言われた。そっちかい! まあ同じようなことか…。
その後私は道後温泉本館横のホテルにチェックインした。さあ、温泉だ。
2007.10.26 朝礼あり
事務所のまわりはよくいえば繁華街、はっきりいえば世も末的な(というかいかにも現代的な、)風俗街なのだが、昨日とあるセクシーキャバクラ(そう看板に書いてます。飲んでお話しするだけのキャバクラとはちょっと違うみたいな…)の前を通ったときのこと。
客らしき60前後の男性が入ろうとしたら黒服が「お客さん、6時からですので…」と止めた。思わず私はその客が腕時計を見るのと同時に自分の時計を見てしまった。(なんか口惜しい…)6時3分くらい前だ。思わず私が思ったことを男性は口にした。「もうええやろ、6時や」すると!「申し訳ありません、まだ朝礼中ですので」と黒服。
うーん、あるんだね、朝礼(朝じゃないけどね)。支配人か誰かが、昨日の営業成績とか発表して、接客の注意点なんか確認して「今日も一日がんばりましょ~」とか言ってるのかもしれん…。もしかして、社是社訓(店是店訓か…)を全員で唱和してたりして…。真心の接客!とか、創意と工夫で新規開拓!!とか…(一般の営業会社のものでもキャバ嬢にいけそうやね)。
いや~、お仕事っちゅうのは外からだけではわからんもん。キャバクラの朝礼、目から鱗…。その話をすると相棒が、新地のクラブの終礼なんて厳しいで~その日の接客についてあかんかったことをママや古参ホステスが新人ホステスが泣くくらい徹底的にダメだしするらしいで…って、う~ん、私はなんであんたがそんなこと知ってるのかのほうが興味深いけどな…。
ケーキ3丁昨晩のお食事会は久々のイタリアンだったが、久しぶり過ぎて写真を撮らなかった。デザートになってやっと思い出して…洋梨のタルト、ミルフィーユ、モンブランのタルト。私以外の人が食べました。チョコレートの模様は一体何の意味があるんや、ケーキの上にかけんかいなってなことをいうのは無粋…っすかね\(^^)/
2007.10.24 悪酔い
十三夜昨晩は後の月だった。中秋の名月のあとだからそう呼ぶらしいのだが、何故か中秋は十五夜で後の月は十三夜。私のカメラではこんな程度にしか写らないが…、目視では綺麗だった。樋口一葉に「十三夜」という小説があったような気がするが読んだ覚えは、ないなぁ。

酔芙蓉事務所の近くの酔芙蓉がやっと咲き始めた。暑い日が長引いて咲く時季を失して、咲き始めたらもうちょいと涼しくて、2時頃でも白いままである。しぼんだのは赤くなってるから夕方から急に悪酔いしているのかもしれない。気候の塩梅よろしからずでなんとも花にもお気の毒である。
2007.10.22 近畿青南
半月土曜に見た半月。さて、昨日は近畿青南歌会だった。辛口Sさん欠席で8名の詠草しか出ていなかったので、少々がっかりしていたが、間際に2名が参加してくれることなり結局10名の出席となった。約1年ぶりに華さんが来られたのも嬉しかった。いっしょに行きましょうということで遠足の前の子どものように当日まで何度もメールをやりとりして大阪駅で会った。いきいきとした日々を送っているプラス思考の人との会話は四方八方に飛ぶので面白い。
しかし、行楽シーズンは電車がとても混んでいて行きも帰りも立っていて疲れた。長引く風邪のせいで頭の中に鼻水を詰め込んだようになってどうもいけない。しかし、会場でみんなの顔を見ると元気になってくるから不思議である。たぶん、集まることを心から楽しみにして来ていらっしゃるその感じがいいのだろう。
画家のTさんが「ほんまに青南の人はいい人ばっかりやなぁ、善人や。男性もジェントルマンが多い(ジェントルマン!)どっかの人はほんまに意地悪で…」と。氏は地方の青南以外の歌誌の表紙も描かれているのだが、まあいろいろとあるらしい。温厚な氏を悩ませるだからねぁ。そういえば青南は不良とか無頼とかいう言葉に無縁そうである。人間関係がうまくいくというのは喜ばしいことだが、ちょっとつまらなかったりもする…。そんなこといっちゃいけませんかね。
秋祭り歌会は今回もかなり活発に発言が出た。一方に流れないのがいい。賛否が出るのも面白い。華さんの久々の登場も刺激だった。一人でもいつもと違う雰囲気の声があると意見にも幅が出るものだ。12月の忘年会の打ち合わせもして楽しく終えた。(秋祭りももう終わりだ)
2007.10.19 ご縁とは
 窓近く蝉しぐれききつつ今焼きしパンを並ぶる老いの朝餉よ      
                         大平 智子
 老い母に贈りしパン焼き器に初めての食パンを焼く雨降る午後を
                         藤井 博子

パンを焼いている大平さんと藤井さんは親子である。私が初めて青南上に歌評を展開したのは藤井さんの自選歌についてであった。そのご縁もあり、東京と福山に離れて暮らすこの親子の歌に心ひかれて注目して来た。寂れつつある地方の大きな家にひとり住む母と近所に二組の子と孫がやってきて俄に忙しくなってきたもののやはり一人暮らしでいる娘と。孫ができて祖母としての歌が勢いづいてきているのだが、母親にとっての娘である立場、遠くの母を思う気持ちも一方で大きい。
並木ときおり福山の母のもとに行く娘。今回の訪問では長年親しんできた近所のパン屋が閉店することになり困るという母にパン焼き器を贈った。多分いっしょに使い方を説明しながら最初のパンを焼いたのだろう。もちろん娘が帰れば一人となる母は以後一人でパンを焼いて朝の卓にのせるのだ。娘は都会にいるので近所にパン屋はいくらでもある。買ったパンを食べながらお母さんのパン今日はうまく焼けたかしらと思っている。
散歩道まあ、そういう物語がこのふたつの歌のうしろにはあるのだねえ。
夏の歌会でお二人ごいっしょのところでいつも楽しみなんですよ~と言うと母上が「あらまあ、何の楽しみだか、お恥ずかしいわ、ほっほっ…」と笑われた。娘さんはいまだに逢うたびに「私の歌を歌評していただいて…」と言われる。歌評の難しさと読む喜びを教えていただいたことで私もとても感謝している。評し評されるという互いにはじめての経験が深く印象に残り今日に続いている。
縁とはそういうものなのだろう。
お米パイ今日の写真は文章にかかわりがない。散歩道をちょっと写したもの。あ、お米パイは山形のお土産のなかで一番美味しかったものである。甘さを押さえた普通のパイだが、バターひかえめで米粒が入っている。ちょいとおすすめのお菓子\(^^)/
2007.10.17 あいそうか
紅花山形から帰ってから、さすがに2日ほど足が筋肉痛だった(^_^;) 青南に出す原稿を抱えたまま仕事に追われた。やっと原稿が出せたので、山形後日談。
紅花は山形の県花である。7月が花の時期なので見ることはなかったのだが、はじめは黄色でだんだんオレンジが混じってくる花だとか。赤い花ではないのだね。写真手前の花(ホテルのロビーにあったもの)
紅花染めは有名だが、なんでも最近は紅花ラーメンやそばがあるらしい。とうさんはそんなもんは食べない!と言っていたが、確かにありそうな話である。
紅花染めスカーフ相棒が季節じゃないのかぁ残念!を連発していたのは、宮崎駿の映画「おもひでぽろぽろ」の影響である。アニメ好きの頭には妙に知識がインプットされていたらしい。茂吉や芭蕉もアニメにすると憶えてもらえるのだが…。
巻いてみる紅花染めにもいろいろあるらしいが、なんとkanさんお手染めのスカーフである。左のシルク地の2色染めは紅花と栗のいがで染めたのだそうだ。右が紅花の黄染め。どちらもなんと綺麗な色でしょう。みかが巻いてもこんなにかっこいい!のである。素晴らしいでしょ~。
草木染めはもうやめられたとかで、貴重なものをいただきました。光栄です。
それで少し興味がわいて知ったことがひとつ。アララギの結城哀草果が紅花保存会会長であったこと。結城哀草果(1893~1974)山形市生まれ。茂吉を師とし、農業に従事しながら素朴な写生歌、生活歌を詠み、随筆も多く残した。農民歌人とか農村唯一人の文化人と呼ばれた(それってほめてんのか、揶揄してんのかわからん呼び方…)。
 百姓のわれにしあれば吾よりも働く妻をわれはもちたり
 ひむがしの蔵王山(ざわうのやま)にかたまれる夕焼雲は動かざりけり
 唐臼(からうす)の腕木の上に燭立てて書物読みつつ米搗く吾は
 尊さよ稲の葉先におのづから水玉のぼり日は暮れにけり
 まづしさをよしと思ひて生きなむか今日も田に出でて落穂を拾ふ
 愛情のことなど語りいましがたをりける吾等月の下ゆく
とてもいいじゃないですか、結城哀草果\(^^)/
2007.10.12 山形行-4
山寺を望む下から見上げる最終日。目的地は山寺である。あいにく朝から雨が降っていたが、出掛ける頃にはなんとか上がっていた。このまま持ちますように!と祈りつつ出発。思いのほかホテルから近い山寺である。下から見上げてひなびた雄大さに景観に喜びつつ、ほんまにあんなとこまで登るんかいな…とちょっと不安である。正しくは立石寺。山岳仏教の霊地、山寺。あんなところにどうやって造ったのか、造る気になったのか…。写真中央上に見えるのが五大堂で、その奥に見えないが奥の院がある。目標はそこである。
立石寺石標本堂(根本中堂/山門/仁王門)山寺登山口。最初の階段である。あたりに虚子の句碑があったらしいが見逃している(以降も色々と見逃したようだが、登るのに必死なのである)。そして根本中堂(本堂)から山門へさてこの先、もうひたすら階段を登るのである。途中なんべん出てくるねん、というくらい松尾芭蕉の「閑さや岩にしみ入る蝉の声」の句碑がある。四角いのやら丸いのやら新しいのやら、だいたいが苔むして読めないのだが…。
芭蕉と曽良芭蕉句碑芭蕉と曽良の像があるが蝉の句碑をはさんで妙に離れて居るのがなんだか不自然である。通る若い人らがたいてい、曽良の方を誰これ…と指さす。かわいそ。ちゃんと説明文でもあればいいのに…。ときどき休憩しながら階段を登り続ける。階段沿いに何とか神社、何とか堂、何とか塔、何とか岩…(ええかげんやなぁ~)。うーん、蔵王の山道より階段の方がきついね。一段一段もちょっと高いかも。でもなんだかんだかいいながら奥の院に到着。
奥の院五大堂よりの眺め雨も落ちてこないのでお礼を言って少し下って納経堂から展望台ともいえる五大堂へ。なんといってもここからの景色が素晴らしい。向かう山並みを芭蕉も見たのだなぁ~。あとで調べたら階段は1015段らしい。芭蕉の気分で蝉の時季に行く人も多いだろうが、暑いときはもっときついだろう、お薦めできないね(^_^;) 
山寺より望む登ってしまえば、途中の汗も足がくがくもすぐに去り、この風景をいつまでも眺めていたくなる。しかしそういうわけにもいかず、下山である。降りるのは早い~。降りきった下の店で力こんにゃく(玉こんにゃくを醤油で煮たもの)をいただく。登る前に食べるべきなのかも…。そして本坊前を行き山寺芭蕉記念館に寄り、見学は終了した。

とうさんの菊y-benさんのお宅に寄ってとうさん丹精の菊を拝見。これが咲いたらなんと見事だろう。それにしても向かいは公園で、玄関脇のオープンスペースには来る人こばまずのテーブルと椅子があり、菊のほか野菜もたくさん植わっているとうさん宅は相棒が夢の家だね…と言うのも宜なるかな。大阪では考えられない…。お二人の人柄とこのオープンな家の佇まいなら毎日みなさん寄っていくだろう。話を聞くボランティアとは、ほんまに素晴らしいです。時間があればここでしばらくお話していきたかったが、もう帰る時間である。山形駅まで行き昼食をとりついに山形とy-benさん、kanさんとお別れである。ほんとにほんとにいい旅を、ありがとうございました。
2007.10.11 山形行-3
聴禽書屋聴禽書屋屋内聴禽書屋側面と歌碑
2日目午後である。満腹の身をkanさん運転の車に揺られて大石田へと向かう。最上川舟運の中継地大石田河岸の大石田町立民俗資料館。なんといってもここには聴禽書屋があるのである。昭和21年から22年まで茂吉が住んでいたところである。当時のままの姿だそうだ。以前y-benさんが雪の聴禽書屋の写真を送ってくれたので記憶にある方もあるだろう。中に入れるとは思ってなかったのだが、見学できるのである。縁側に座ってそうかぁ、ここで最上川の歌を作っていたのか~、と思うとなんだかご利益がありそうな気がしてきた(歌がうまくなるというより、作る気になる…くらいのご利益だが)。掛け軸は「最上川の上空にして残れるはいまだうつくしき虹の断片」である。茂吉が色紙か何かに書いたのを起こしたのだろうなあ。だいぶ茂吉の自筆も見たことになる。そして庭にある歌碑は「蛍火をひとつ見いでて見守りしがいざ帰りなむ老の臥処に」。
乘舩寺そして少し歩いて乘舩寺。ここの歌碑は「最上川逆白波のたつまでにふぶくゆふべとなりにけるかも」である。そして脇にある正岡子規の句碑は横顔入りであるが写真ではわかりにくいね…「ずんずんと夏をながすや最上川」。そしていよいよ最上川へ。
最上川最上川 大橋車で横切ってはいたが、ようやくじっくりと見ることとなる。大橋からしばらく歩いてみる。今度は芭蕉である。芭蕉は大石田の高野一栄宅に宿泊し歌仙を催している。

ここが歌仙の地暮れる最上川高野一栄宅跡に連句碑がある。奥の細道の標も草に覆われてわかりずらい。あまり人は来ないのだろうか。発句、芭蕉の自筆は「さみ堂礼をあつめてすゝしもかミ川」となっている。五月雨を集て凉し最上川。
奥の細道に残る「五月雨をあつめて早し最上川」の原形だね。だんだんと最上川も暮れてきた。楽しい時間はあっというまである。
出羽桜この日の泊まりは天童温泉である。天童といえばy-benとうさんとみかが愛する出羽桜酒造である。酒蔵見学はできないが、横の酒屋まで連れていってもらう。これだけで嬉しいのだから酒飲みというのはやっかいである (^_^;)
天童ホテルそしてホテルに送ってもらう。温泉につかり食事をして出羽桜を呑んで極楽である。ラ・フランスは少しだけ季節が早くお目にはかかれないので饅頭で代役。米沢牛も山形牛で代役。と2日目も終わってしまうのであった。
2007.10.10 山形行-2
紅葉しはじめ心配していた天候も2日目はすっかり晴れ渡っている。素晴らしい。8時にy-benさん、kanさんがお迎えに!今日は蔵王のお釜を目指すのだ、いざ出発。1本道だというので相棒が運転席へ、ホテルから蔵王エコーラインをぐるぐるぐるっと登って行く。途中から宮城県に入る。紅葉はまだだと思っていたが、眺望の良さとともにどんどん色づいた風景が現れてくる。「キレイ~」とkanさんと声を挙げる! そして、ほんとにお釜のすぐそばまで車で行けるのだ。
お釜周辺さすがに気温も下がっている。ちゃんと上着と軍手を用意して下さっている。駐車場から先のごろごろとした岩場を歩けばもう見えてくるのだ! エメラルドグリーンがはっきりと見えてきた\(^^)/
ガスが出るのでこんなにはっきり見えることは滅多にないそうだ。いや~よかったぁとy-benさんが安心の声。高恵さんが晴れ女だからと断言してくれただけのことはあるって話になりました。感謝です~。(いつから晴れ女になったのかは定かでない…)
お釜~kanさんが熱いお茶を淹れてくれました。お釜の脇で熱いお茶なんて思ってもみなかった~。
で~この刈田岳側から馬の背の先の熊野岳を望むと赤い屋根の蔵王山神社と茂吉の歌碑が遙かに小さーく見えている。
歌碑まで行く?とy-benさん。「行きたい!」こんなに天候に恵まれて名ガイドさんがいてくれてここでやめると絶対後悔だもんね。
熊野岳まで~馬の背・刈田を見返る刈田の駐車場が標高1741mで熊野岳山頂は1841mなので標高では100mしか違わないが延々と馬の背と呼ばれる尾根を行く。ガスが出たときのための目印の杭がずーっと立っている。緩く登ったり下ったりしながら、だんだん勾配がきつくなってきて石も大きくなってきて最後は礫の斜面を登りきると避難小屋に到着。
避難小屋ここまで45分位かかっただろうか。実はまだここは宮城県である。そして少し歩くと蔵王山神社があって、その先に斎藤茂吉の歌碑。ここは山形。茂吉の生前に立った唯一の歌碑である。それもここに建てるための歌だ。歌碑の前は山形県、後ろは宮城県というわけだ。

歌碑歌碑と風景陸奥乎ふた和けざまに聳江多まふ蔵王乃山の雲能中尓太徒
みちのくをふたわけざまに聳えたまふ蔵王の山の雲の中に立つ
雲の中というか雲の上だからねぇ。気持ちのよさは格段だし、「ふたわけざま」という茂吉独特の言葉づかいに今更ながら感心するというか、やはり茂吉は普通じゃない…。岡井隆が茂吉は沼だからといったことを思い出す。いくら研究したって相手は沼だ、と。確かに平板な写生詠や意気込んだ心理詠とは全く違うからね~。連れてきてもらってほんとによかった、と歌碑をなでなでして下山である。
山菜料理と芋煮とビールさ~てお昼時。エコーラインを戻り高速道路を使って月山の麓まで。出羽屋という構えも庭も素晴らしい老舗料理屋さんに連れていっていただく。草履番のおじさんがいて、和服の素敵な若女将が出迎えてくれて、おかみが丁寧に送り出してくれる、まるで「どんど晴れ」のような店である。山菜と蕎麦。こごみやあけびや豊富な茸。kanさんの春は膳が緑で秋は茶色という説明がとてもよくわかる。月山地ビールとともに美味しくいただいたのであった。
また明日…
2007.10.09 山形行-1
つばさ山形へ行って来た。いつものことで急に相棒が休めるから~と言いだしてy-benさんに行ってもいいか聞いといて~とチケットを買いに走った。連休なので飛行機はとれず、新幹線も早い便はとれなかった。
駅弁朝9時に新大阪を出て東京へ。東京駅から「つばさ」に乗って山形へと。つばさってかっこいいね。小さいからホームとの間につばさが出て隙間を埋めるのもはじめて知った。恒例の駅弁大会をしてビールを飲んだりしているうちに山形だ。3時前に着いた山形駅ではy-benとうさんとkanさんご夫妻が改札で手を振ってくれている!
宝泉寺早速kanさん運転の車で上山市へ。茂吉のふるさと金瓶村に連れていっていただいた。茂吉の生家守谷家の菩提寺の宝泉寺に到着。分骨された茂吉のお墓がある。大きな歌碑は赤光の「のど赤き玄鳥ふたつ屋梁にゐて足乳根の母は死にたまふなり」である。すぐ隣には7歳から9歳まで通った金瓶学校がありその先には茂吉の生家がある。
茂吉生家看板は何故か通りからは見えないところにそっと置いてある。y-benさんがわざわざ下見に行って見つけてくれていなければ分からないよ! 茂吉のお兄さんのお孫さんというおじさんがいらして少し説明をしてくれたが、知っている歌の中味以外は言葉がほとんどわからない(^_^;) 相棒が相づちを打っていたが絶対に怪しい…。やはりここは東北山形。y-benさんたちのように気を遣ってくれていないと年配の方の言葉は半分もわからないってことに先々で遭遇(^^)
茂吉記念館そして少し車で移動して斎藤茂吉記念館へ。表に胸像がある立派な記念館だ。茂吉の自歌朗詠の声が聞けたり、自筆の色紙短冊、もちろんアララギ関連の資料もたっぷりあるし、晩年の東京の住居の一部が再現されていたりで見応えがある。また園内には箱根強羅の別荘の勉強部屋が移築されてあった。夕暮れて来て見学は終了である。
蔵王温泉宿泊は蔵王温泉なのでホテルまで送っていただく。いやあ~二人で行っていたらとてもこういった見学はできなかっただろう。感謝しながら、夜の食事と強酸性の温泉と出羽桜で1日目は更けていった。高恵さんおすすめの、記念館と里芋の芋煮、まずは終了しました\(^^)/
2007.10.04 わくわく
今日の弁当今日のワンちゃん忙しいので、事務所の1階にあるコンビニで買ったおにぎりやパンがお昼…というのが続いたので、今日はコンビニに行く時間くらいで戻る!とダッシュでお弁当屋さんへ。いつもちょっと遊ぶ近所の犬にも声をかけず「おじちゃーん! フライの入ってないやつと五穀米~」と叫んで弁当を掴んで戻る。中味なんてよく見てなかったが、鯖でしたね。これが500円というのは安いのだか高いのだか判断しかねるが、別の店の400円弁当よりは美味しいのでみか的には○にしておく。
外ランチほんとはちゃんとお店でゆっくり食べたい。こういうところでは待ってるときが一番楽しい…かも。
さて、sakoさんは尾瀬に行くらしいが、羨ましくはないもーん。だって~、みかもこの連休には山形さっ\(^^)/
だから忙しいのだけど、平気~(S邸の歌会お休みするけど、ごめんなさーい)