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2009.06.30 六月草津
ゴーヤ日除け日曜の近畿青南歌会は10名出席だった。会場の玄関にゴーヤの日除けができていた。部屋を小さくしてから声が伝わりやすくより緊密な感じになってきた。辛口Sさんに「これはいらんな、この使い方は賛成できんな、これも取った方がええ…」と元歌がなくなるまでダメだしを受けた。ここまで来るといっそ心地よい。Yさん達が小声で私ら気持ちのええほっとする歌や思いますけどぉ~とささやきあってくれていたが、まあ声の大きい方が勝つのである。えっ?そういう問題か?だってどうせ正解があるわけじゃないからねえ。
歌らしくしようとして失敗している云々。ごもっとも。技術的なことばかりいうが歌は心だ。ますますごもっとも。しかし実は気持ちがわかるとか思いがあるとかいう批評が先行していて技術論を余りしないのが一般的だ。青南の誌上でも技術的なことなどほとんど書かれない。ほんとうは両方必要なことだろう。私たちはSさんのおかげで歌会のたびにそういうお勉強ができるのでありがたい。感覚は合わないが教えられることが多い。それに技術は学びあえるが感覚は別物だ。そもそも同じセンスの人ばかりだったら歌会は全然つまらないものになるだろう。そういう点でも恵まれていると思う今日この頃。
八条口・水のオブジェ京都侘家三昧でお食事終わってからMさんとHさんと京都でお食事をした。きれいになった八条口で水のオブジェを見学してから感じのいいお店でゆっくり食べて飲んだ。やっぱり歌会のあとはこうでなくっちゃ(^^)Mさんが作品2に掲載されたことを「おばあちゃんもたまには飴ねぶらしてもらわなあかんわなぁ」と言っていた。いやぁあれは別に飴やないと思うけど…。確かにほめてもらうというご褒美を誰だってどこかで望んでいるもんである。
一杯どうぞ!ところで先日、駅前で献血車に遭遇。「緊急!献血お願いします、皆400ccで!」なーんてほんとに血液不足で困っているらしい。で、元気になってきたし献血してみるかっと、と、なんと看板が。「B型は足りています。B型の方はまた8月以降にお願いします。」だと。B型はわがままだとか、勝手だとかいつも言われるけど、B型の人はいっぱい献血してるってことじゃん、ねぇ、と言ったら相棒が、B型は誰も怪我しないんだよ~って言ってました。そんな馬鹿な(^_^;) いずれにせよB型はいりませんなんて看板、なんだかなぁ。そういえば歌をはじめた2000年にこんな歌を作ったあちくし
 AとOの血液不足と立て看板このB型の血はいらぬのか
なんだBはいつも足りているんだ…。
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2009.06.24 吉備行
ケノクニ岡山歌会週末に岡山であったケノクニ青南合同歌会に行った。年に一度岡山ケノクニ歌会にH編集長はじめ群馬埼玉組が参加されるときに私たちがちょっと混ぜていただいたといった感じである。土曜は青風のtokoさん、Mさん、Oさんと私が参加し総勢20名。もちろん青南の方は知っているが、ケノクニ会員の方々とは初めてお会いするわけである。ケノクニ会員といえばほぼ教師である。しかも現役の男性の方が多いのでいつもの自分の行く会とは感じが違う。
円通寺散歩新倉敷から車で15分ほど行った円通寺公園内にある良寛荘という国民宿舎が会場である。玉島運河の見下ろせる実に景観のよいところ。あらかじめ出した2首の歌評会からはじまる。編集長に何だ普通の歌だなぁと言われたりしながら、その後皆さんの研究発表を聞く。それぞれがテーマを決め15分くらい資料をもとに話をする。さすがに先生の集団という感じである。
若き良寛さんと良寛堂そして私にははじめての即詠である。夕方以降歌を2首作って提出し翌朝歌評するのである。夕食前の休憩時間若き日の良寛が修業をしていたという円通寺に案内してもらった。みんなは丘の上やベンチでメモ帳を手に歌を作っている。一生懸命運河や向かいの四国方面を眺めたり、木を見上げたり、題材はないか!って感じだ。その日に帰ってしまうtokoさんたちは作らなくていいが、私もいっしょになってただ観光をしていた。できるわけないよなぁ。で食事のあと発表の続きが9時まで。円通寺気になるわ~ありがとございますその後その場でみなうーんと頑張っている。次々にでーきた!と提出していく人たち…。私?10分くらい表に出たり海をながめたりしたが、できるわけないよなぁ。
そのまま懇親会の部屋に行ってビールをのみはじめた。結局1時くらいまでひきとめられるままお話の輪の中に。そのとき歌ができていなかったのは同部屋のY農園さんと上海帰りのIさんと私。3人はその後シャワーを浴びて歌を作り始めた。早々とYさんができたよ、寝ます。しばらくするとIさんができたことにする、寝ます。うーん、できないあちくし…。3時前になんとか清書して詠草一覧の最後のあきにもぐり込ませる。だいたい飲んでから作るなよ~とはいえ家じゃ飲んでも作ってるのでいっしょかぁ(^_^;) 
夕食と朝食しかしさっき作った歌を朝から歌評しあうっていうのも(さっきはあたしだけだけど…)新鮮だ。答えが早いというか、気持ちが生々しくて面白い。あちくしの即詠
  野暮つたい葉に囲まれて呵々大笑泰山木は今花のとき
  結論の出る話などできなくて月なき夜の運河の灯り
あらかじめ出していた詠草
  壁にボール当てて弾ませ受けてまた投げる少年影濃くなりぬ
  原田神社の裏の八百屋の店先に初夏の日の照るトマトの光る
まあそういわれれば普通でしたね。描写がくどいといわれたが、アチクシ的には影が濃くなるまでに執拗に繰り返したかったのであーる。円通寺の泰山木は4人が歌にしていたが、みーんな扱いが全く違ってパラボラアンテナまであって面白かった。編集長にみんなこねくりまわすから変になるんだ。即詠の方がいい歌じゃないかっていわれたりしながら…。
国分寺遠景備中国分寺・五重塔 さて、12時前に終了して解散である。遠方組のみなさんは伊良湖へ行かれるのだそうだ。私はIさんの車で吉備路へ案内していただく。備中国分寺へ行き五重の塔を見る。興福寺のよりスタイルがいいぞ。かっこいい。しかもロケーションが素晴らしい。こうもり塚古墳を見て、吉備津神社へ。
吉備津神社本殿吉備津神社葺き替えてまもないのか美しい屋根である。立派な神社だなぁ。回廊も長く美しい。紫陽花の時季で見物客もいっぱい。回廊から見上げても上から見下ろしてもいい感じだ。もう少しして満開になるとこれはすごいだろう! 締め括りに鬼さんのお店で白桃ソフトクリームをいただいた。おいしかった。Iさんのおかげで楽しい吉備路巡りができたっていうより会いたかったIさんとゆっくりお話ができたのが一番よかった。
吉備津神社の回廊うちそと鬼さんのソフトクリームを食べる帰ってきてから若干悪い体調に戻ったが、まあ仕方がない。けど無理して行った甲斐はあった。「来てもろうて実に新鮮じゃった、来年も来てくれるとええんじゃがなぁ」とEさんが別れ際に言ってくれたが、私も新鮮だった。いろんなところに出ていくのも悪くない。あるのは出会いだ。ないのは時間と金だ。どっちも作るもんだけどねぇ。早く元気になって考えよう。ほんとうに岡山の皆さんお世話いただきありがとうございました。遠方の皆さんもお疲れ様でした。このうえなく充実した週末だったのであーる。
2009.06.17 比叡の猿
ガーデンミュージアム比叡モネやらルノワールやらが!週末の午後クルマで帰ってきた相棒がドライブに行こう!と。ぶーんと1時間ほどで行った先は比叡山の山頂である。先週詩仙堂に行ったとき電車の中でこんなのがあるねえと案内を見ていたのだ。その昔遊園地があった場所にできた(といっても何年も前からあるのを私たちが知らなかっただけだが…)「ガーデンミュージアム比叡」と称する印象派の画家の作品をモチーフにした庭園美術館である。
お手入れする人が絵の一部のよう睡蓮の池陶板焼きのモネやルノワールの作品が飾ってあり、絵の中の風景や画家の住んでいた庭などを模してハーブの庭園が広がる。モネの絵の感じに似せた睡蓮の池の周りに置かれたモネの睡蓮の絵。まあそれなりの雰囲気ですね。
カンパニュラ!風のガーデンだ背景は比叡の山並みであ~る背景は比叡の山と京の町並みそして琵琶湖。残念ながら超曇りで景色は見えず…。カンパニュラの花を見て「風のガーデン」を思い出し、しばし拳さんを偲んでいたが、猿が出没、騒然となる。桜の実をつまんでいた。かまっちゃダメと園内放送。さすがに標高840メートルの山頂であーる。
桜の実をねらうお猿さんこんなアングルもあるせっかくここまで来たのだからと閉まりかけていた延暦寺の根本中堂に寄る。そしてすぐそばのロテル・ド・比叡という素敵なホテルでお茶を飲んで、暮れてしまったのであーる。
2009.06.09 めぐる庵
一乗寺下り松詩仙堂入口週末京都に行った。なんか去年の紅葉の時期から行ってないような気が…。桜の時季に出歩かなかったので、そうかもしれない。京阪電車、叡山電車と乗り継いで一乗寺まで。下り松ってのがあって、宮本武蔵と吉岡一門との決闘場所とか、そうでないとか、とか。それにはあまり興味がない。この松を目印に山側に入っていくと目指す詩仙堂がある。洛北の静かな名園で、まだサツキが見られるかなぁと訪れた。
詩仙堂外観詩仙の間石川丈山という小堀遠州と並ぶ庭造り名人が寛永18年(1641)に造った山荘で自らの住まいとしていたところ。「詩仙の間」というのがあるので詩仙堂と呼ばれている(今は丈山寺というお寺だが)。そこには狩野探幽描くところの三十六詩人の肖像と詩があるが李白と杜甫しかあちくしにはわからん…(^_^;)
鹿おどし詩仙堂の庭を歩くここのよいところはいつでも季節それぞれに草花が楽しめ人があまりいないこと。サツキと秋の紅葉が特に見事。そのときはちょっと人出が増すが…。僧都(ししおどし)があって、そもそも鹿おどしは丈山が最初に考案したと伝わっている。とはいえ、ここの鹿おどしはどうも音が軽くて残念感がある。でも、いいお庭。人が少ないときなど長時間座っていることもできるし、庭に下りて散策もできる。東屋もある。そしてコン(こーんじゃないのよねぇ)と鹿おどしが…。
金福寺金福寺庭と猫詩仙堂に行ったときは近くの金福寺にも必ず寄る。ますます人の行かないスポットとなるが、庭の細い道をずんずん上がっていくと芭蕉庵と蕪村のお墓がある。ここは舟橋聖一の「花の生涯」のヒロイン村山たか女の終焉のお寺として位牌や遺品がある。しかし、スパイの話もいいが、やはりその昔親交のあった住職を訪ねて芭蕉が訪れた草庵があった場所であり、その後荒廃してしまった寺を悲しみ蕪村が再興し、芭蕉庵をつくったという話の方が興味がある。
金福寺本堂芭蕉庵この地を蕪村は愛し度々ここで句会を開き、果てはここで墓に入りたいといった。それを弟子がかなえたので墓があるのである。確かに芭蕉庵の窓から見える京都の街はなかななかである。いにしえならばなおのことよき眺めであったことは想像に難くない。
芭蕉庵・内部芭蕉庵からの眺め主のような猫が昼寝をしている本堂のたたずまいもよいでしょう。あがってゆっくりテープの解説を聞きませう。ゆっくりと時間が流れていく。ここは樹木にもお墓にも懇切丁寧な説明札がかかっている。
蕪村のお墓蕪村の句はいかがですかゆかりの俳人の句も堪能できるようになっている。蕪村の句も季節ごとに掛け替えてくれている。とても親切な方がお世話しているのでしょう。気持ちがいい。心地いい。おすすめであーる。
2009.06.03 マラソン
馬酔木の会・5月日曜には生駒(生駒駅のこのへんなオブジェはなんだろう)で馬酔木短歌会があった。他のメンバーが滋賀であった土屋文明の足跡たどる1泊の歌会に参加されたあとだったので、そのことを聞かせてもらっていたら、明確ではないけれど何となくそこで得たあるものが皆から発せられてきたように感じた。なんだろうあれは。生駒駅のオブジェこの頃思うのだ。歌のいい悪いとかうまいとかへた、ってことより重要なのは好きか嫌いかってことなのだろうと。結局短歌をやってるのは短歌が好きなのだ。ね。

ところで昨日テレビでアースマラソンで今アメリカを走っている間寛平の応援番組があった。それ自体はまあ寛平ちゃんのためにスポンサーがいなくっちゃならんから内容はどうでもいいんだけど、そのなかで応援歌をつくった忌野清志郎が亡くなったことを電話で聞いた途端に寛平ちゃんが号泣する場面があった。清志郎が死んだとき、あたりまえだけど普通は喪服来てお葬式に行ってちょっと涙を流して…大人だもんね、みんな。泉谷しげるはあいつが死んだとは認めないと葬式にも行かず、大人じゃねぇぜってところを見せたけど、寛平ちゃんは聞いた途端わんわん泣きだしたのだ。それはかなり長い間号泣していた。おとながあんなに泣くのを私は初めて見た。テレビでも雑誌でもどこでも彼の死を悼む人をいっぱい見て、私もいまだにラジオから清志郎の歌が流れるたびに涙が出そうになるが、なんか一番彼の死にふさわしいと思える泣きを見た気がした。
このところはずっと清志郎の『瀕死の双六問屋』をそばにおいて「失礼する。また会おう! 俺はしばらくは近くにいるはずだ。」「安心しろ。君はまだまだ大丈夫だ。ぜんぜん平気のヘーザだ。へっちゃらもいいところさ。なにしろ俺がここにいて、君と同じ時間を生きているんだぜ。」さわやかなネーミングで彼が元気なときとは全く違う意味でもまた同じ意味でもうれしく読んでいるのであーる。いまさらながらすごいヤツに乾杯だ。